御祭神、藤原旅子は第五十代桓武天皇の皇妃にして、第五十三代淳和天皇の生母であり、太政大臣 藤原百川(ふじわらのももかわ)の女(むすめ)である。
往昔、此の龍華の荘(大津市伊香立途中町、上龍華町、下龍華町)は藤原氏の食邑地にして、当時其の邸宅あり、旅子此処に生まる。
長じて比良の南麓、最勝寺の開祖、静安に随侍し佛に帰依す。土俗称して蓮華婦人という。静安、勅を奉じ、しばしば宮中に参候して、佛名会、灌佛会等を行う。是により才色兼備旅子、桓武天皇に召し出され、第五十三代淳和天皇を生み奉る。旅子甚だしく帝の寵愛深りしが、京都西院に隠棲され、延暦七年(西暦七八八年)五月十八日病を得て逝去さる。
病重篤と成りし時『我が出生の地、比良の南麓に梛(なぎ)の大木有り、その下に葬る可し』と遺命されし故、此処に神霊として祭祀さる。(当社鳥居真正面の古木が梛の木)
平治の乱(西暦一一五九年)起こりし時、戦に敗れし源義朝の一行は八瀬大原街道を敗走、ようやくにして此の還来神社社頭に着き、白羽鳴鏑の矢を献じ武運長久を祈願する。此の一行に有りし源頼朝、落伍し途中の山に迷い乍らも、やがて還来神社に到着、源氏の再興を祈願し、東国へと走る。後年、頼朝源氏の頭領として君臨せし時、此の還来大明神を忘れ難く神田を寄与す。
故郷に還り来れるとの此の神社の由緒に鑑み、その後、日清、日露の戦いに参戦する人、此の社に参拝をなし、無事帰還を祈願さる。
太平洋戦争に至るや、参拝者引きも切らずとかや、又源頼朝白羽の矢と共に、馬に付けられし鈴をも奉納されし古事を以て、祈願者大小の鈴を奉納さる。
何事も、必ず無事還れると云う御神徳に鑑み、戦い終わりし今日も、海外旅行、海外出張、旅行、交通安全、病気平癒、健康回復、また尋ね人等の帰還祈願に参拝者が絶えない。
御祭神藤原旅子の御陵、京都市西京区大枝塚原町に現存す、之を宇波多陵と称す。(御陵は宮内庁所管)
平成元年十一月 御鎮座千百五十年式年大祭を斎行